神戸地方裁判所 昭和52年(ワ)1089号 判決 1978年7月14日
原告 甲野太郎
右訴訟代理人弁護士 熊谷尚之
右同 高島照夫
右同 中川泰夫
被告 乙山市郎
右訴訟代理人弁護士 深草徹
右同 小牧英夫
右同 山内康雄
右同 宮後恵喜
右同 大音師建三
主文
被告は原告に対し金三〇〇万円とこれに対する昭和五二年一〇月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は一〇分しその七を原告の、その余を被告の負担とする。
この判決の一項は仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
被告は原告に対して金一〇〇〇万円とこれに対する昭和五二年一〇月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決
二 被告
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
との判決
第二請求の原因
一 原告と丙川花子は、昭和三四年七月一日婚姻し、その間に昭和三五年七月一一日長男一郎、昭和三八年五月二七日次男二郎を儲けた。
二 原告は昭和四七年四月から昭和五一年三月まで神戸市内に住み、○○大学庶務課長として勤務していたが、同年四月一日国立○○博物館庶務課長に転出し、長男一郎の学校の関係から花子と子供二人を残して単身で東京へ赴任した。
三 被告は長男一郎の○○中学二、三年時の担任教師であったが、昭和五一年五月頃から、花子が原告の妻であることを知りながら、京都、奈良、淡路島、倉敷、福岡更には北海道へ花子を連れ出して遊びまわり、花子と肉体関係を持ち、同年八月末日花子らが東京の原告肩書住居で再び一緒に生活することになった後、同年一〇月花子が家出し被告のいる神戸へ来て一ヵ月程生活し、一旦は東京へ戻ったところ、昭和五二年二月には花子に対し、「丙川花子様へ、この書を愛するわが妻花子に捧げる昭和五二年二月二四日妻花子の誕生日に云々。乙山市郎」と夫婦気取りで書き記した詩集を贈ったりした。
四 その後、原告は、被告と花子の前記旅行中の傍若無人で露骨な写真や前記詩集の存在を知るに及んで、離婚を決意し、同年八月一日、花子と協議離婚した。
五 三項の被告の行為により、原告は家庭を破壊され、心身共に重大かつ深刻な打撃を被り、残された二児に対する悪影響もあって、その苦悩は筆舌に尽し難く、原告の慰藉料は一〇〇〇万円を下るものではない。
六 そこで、原告は被告に対し慰藉料一〇〇〇万円とこれに対する訴状送達の翌日の昭和五二年一〇月三〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三請求原因に対する認否
一、二項の事実は知らない。
三項の事実中、被告が一郎の担任教師であったこと及び被告が花子に詩集を送ったことは認めるが、その余の事実は否認する。
四項の事実中、原告と花子が協議離婚したことは認めるが、その余の事実は知らない。
五項の慰藉料額を否認する。
原告と花子との婚姻生活は既に一〇年近前から完全に破綻していた。被告は花子からその事情を聞かされるうち、次第に同情から愛情に移って行き、形式的にしか存在しなかった婚姻関係を形式的にも解消する一つのきっかけを与えたにすぎない。
第四証拠関係《省略》
理由
《証拠省略》によると
1 原告と丙川花子は、昭和三四年七月一日婚姻し、その間に昭和三五年七月一一日長男一郎、昭和三八年五月二七日次男二郎を儲け、原告が○○大学庶務課長として勤務していた昭和四七年四月から昭和五一年三月の間、花子が夫婦間の対話が殆んどないことなどから原告に不満を抱くようになっていたものの、親子四人で神戸市内で平穏な生活を送っていたこと。
2 原告は、昭和五一年四月国立○○博物館庶務課長となり東京へ転勤せねばならなくなったが、当時長男一郎が高校入学時で東京の高校への転校がすぐには困難であったため、家族を神戸に残し単身で東京で生活することになった。
3 その頃、花子が、一郎の高校入学の保証人を一郎の中学二、三年の担任教師であった被告(被告が担任教師であったことは当事者間に争いがない)に依頼したことから、被告は、花子に原告の留守家庭に招かれたり、花子や次男二郎やなどとピクニックに出掛けたり、更に後には花子と二人だけで、淡路島、倉敷などへ旅行するようになり、次第に花子との間に恋愛感情が生じ、同年八月に入ると、一郎の東京の高校への転校が決り同月末日には花子や子供らが原告と同居することになっているのに、花子と二人だけで一泊で福岡へ行ったり、北海道へ一週間旅行する程となり、花子と肉体交渉を持つに至ったこと、
4 同年八月末から、原告と花子らは再び東京の原告の肩書住居で同居することになったが、花子は被告と相互に度々電話で話し合っており、同年一〇月九日頃には、家族に無断で家出し神戸へ来て、被告と相談のうえ、被告の肩書住居付近のアパートの一室を借りて住むようになったが、同月末日頃一郎と二郎が花子に東京へ帰るように迎えに行ったことなどから、同年一一月二六日頃原告に謝罪して再び原告のもとに戻ったが、その間原告らから被告に対し花子の所在について照会があったのに、被告は花子の所在を知らせなかったこと、
5 被告は、その後も、花子と電話、文通などで連絡をとり、昭和五二年二月には「丙川花子様へ、この書を愛するわが妻に捧げる」などと書き記した詩集を花子に送付(詩集の送付については当事者間に争いがない)したりした。
6 花子は原告のもとに戻ったものの、昭和五一年一二月頃から結核にかかり、昭和五二年三月花子の実家の近くの福岡の病院に入院することになったが、原告は同年五月、花子の荷物を整理していた際、前記詩集や被告と花子が旅行中に写した親しげな写真を発見したことから、花子と被告との関係をはっきり知り、花子との離婚を決意し、同年八月一日協議離婚(協議離婚については当事者間に争いがない)したこと
7 原告は、花子の家出、入院のため、二児の世話等で非常に苦労したこと、
8 花子はその後退院し、現在では被告と同棲中であること、
との事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
以上の事実によると、被告の3ないし6の行為は夫の妻に対する貞操期待を侵害し、婚姻生活を破壊したものとして、原告に対する不法行為であり、被告は原告に慰藉料を支払う義務があり、その慰藉料額は三〇〇万円をもって相当と考える。
すると、原告の本訴請求は、被告に対し三〇〇万円とこれに対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和五二年一〇月三〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合の遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので、その限度で認容し、その余の部分は理由がないので棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、仮執行宣言について同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 河田貢)